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奈良県桜井市朝倉台西3丁目1093-69 エキテン口コミNO.1

プロフィール

はじめまして、やまと鍼灸院院長 山本達也です。

やまと鍼灸院院長 山本達也

やまと鍼灸院に興味を持っていただきありがとうございます。
おそらく読んでくださっているあなたは鍼灸に対する不安と、「どんな人が施術をしているのか?」という不安があると思います。
少しでもその不安が安心に変わればと思いプロフィールと想いを書かせて頂いています。
是非お読みください!

生年月日1981年1月30日生まれ
出身奈良県吉野郡下市町出身
保有資格はり師・きゅう師
はり師教員・きゅう師教員
学歴下市町立阿知賀小学校
下市町立下市中学校
奈良県立耳成高等学校
奈良産業大学(現奈良学園大学) 経営学部
東洋医療専門学校 鍼灸師学科
大阪医療技術学園専門学校 東洋医療技術教員養成学科
『どこへ行けばいいのか?』に答える鍼灸師
やまと鍼灸院山本-乳児期

1981年、母の実家である奈良県吉野郡下市町で生まれ、小学生までは橿原市で過ごしました。小学生からは下市町に引っ越しし学生であった25歳ごろまで過ごします。

大学まで続けた野球が気づかせてくれた

私は小学4年生から大学まで野球一筋にスポーツをしてきました。
世間から見れば、大学には野球で行ったのでかなり本格的にしていた分類に入ると思います。その中で怪我をし病院にいき、鍼灸整骨院などにも行きマッサージや鍼灸、整体をはじめ、薬などいろいろな治療を受けました。

やまと鍼灸院山本-高校時代 しかし、そのときはいいのだけれどすぐにまた痛くなる。調子が悪いといった状態が続き、病院では手術の話も出たほどです。
『どこへ行けば治してもらえるのだろう?』
『このまま自分は大好きな野球ができなくなるのではないか』

そんな不安に駆られたことを今でも忘れられません。

そして、治療を受けるために行った病院でやまと鍼灸院の治療への考えに至る決定的な一言を聞くことになります。

「痛み止めの薬出しておきます。でも、あまり飲まないでね。治しているわけでないし、身体に負担がかかるから」

当時の自分は病院は治してくれるところ、そして薬は治すために飲むもの、確かに痛み止めは痛みを止めるだけとはなんとなくわかってはいましたが、お医者さんから面と向かって言われたこと、そして『負担になるよ』の言葉はあまりにも衝撃的な言葉でした。
手術以外治す方法がない・・・怪我と上手く付き合うということだけが自分が現役でいる方法でした。

そうして、怪我に悩む中、また野球というスポーツの分野に身をおいていたため、身体のこと、怪我をしやすい人とそうでない人の差は?など考えるようになり、トレーニングやケアのことなどに興味を持ち始めました。

自分が満足な治療やケアを受けれなかったという思い。有名な先生など探してもなかなか敷居が高かったり、遠いなど身近でなかったことから、医者は無理でもトレーナーなどになり、自分のように怪我で悩む人の手助けができればと考えるようになりました。

2002年大学4年の夏に、『トレーナーをするなら鍼灸の免許を持っていたら重宝されるよ』
という本当にささいな一言を真に受け、鍼灸学校に入学することを決めます。

大学4年間通わせてもらった上、再び3年間・・・相当悩みましたが後押ししてくれた両親には本当に感謝しています。

東洋医学との運命的な出会い

2003年4月、東洋医療専門学校鍼灸師学科夜間部に入学。

やまと鍼灸院山本-鍼灸学校時代 自分はトレーナーになるためのオプションぐらいしか考えていなかった鍼灸、面白そうだけど、覚えることもいっぱい、東洋医学なんや~ぐらいの感じで日々が始まりました。そんな中、同年の9月に運命的な出会いをします。

当時担任だった先生に『鍼灸師を目指すならいい勉強会があるからどうだい?』と誘いを受けます。これが現在やまと鍼灸院の治療方針の根幹である【東洋医学】の勉強会でした。

初めての勉強会で漢文の資料を渡され、『勉強会、間違った(汗)』と思いましたが(笑)、その漢文に沿った講義が、大学時代に考えていた身体のこと、怪我のしやすさとしにくさの違い、原因、治療の考え方などとても腑に落ちて、まさに目からウロコとはこのことか!、とボロボロとウロコが落ちました(笑)

十四経発揮和語鈔-任脉 点と点だった身体の謎がすべてが線でつながった、そして何より東洋医学に基づいた鍼灸は、『手助け』だけでなく、『治す』ことができる、スポーツ選手に限らず、身体の不調に困っている方たちの役に立てる『治療家』になれるのだ、ということに気づかされ、ものすごくワクワクし、心の底から燃え上がるものがあったことを今でも忘れられません。

まさに、痛み止めなどその場さえよければいいという、自分があの時がっかりしたものではなく、東洋医学は身体本来の働きを見極め、体質改善、自然治癒力の向上、根本改善によって人本来が持つ力を引き出し改善する考え方、治療なんだと確信しました。

それからは一心不乱に学校では国家資格取得のため勉強を、昼間は整骨院で働き、そして休みの日は月に3~4回勉強会に参加という生活を3年間送りました。

国家資格取得、修行の日々と新たな道へ

2006年 はり・きゅう国家試験合格。国家資格を取得。

やまと鍼灸院山本-はり師・きゅう師免許 無事国家試験に合格、そして勉強会の先生を師事しさらに勉強、技術の研鑽に励みました。
内科に勤務しつつ、時間のある時は治療院に見学、勉強にという日々を送ります。またその後師事する先生の治療院で働く機会を与えられ仕事をしながら勉強をできる事になります。

そんなある時、先生から鍼灸学校の教員になることを薦められます。当時の自分は『治療家』を目指していたため、一度は断りました。また学校に2年間行かなければならないということも断った大きな理由です。

しかし、今では少なく理解できないかもしれませんが、当時師弟関係であった師匠から言われたということが一つ、そして鍼灸学校で自分がワクワクした東洋医学を伝えたいという思いが重なり、教員になるため、再び学校へ入学することを決意します。

2007年 大阪医療技術専門学校 東洋医療技術教員養成学科に入学

新たな出会いや教えるということ、また鍼灸業界を知るきっかけもでき有意義な2年間を過ごすことができました。
教育実習がもっとも過酷でしたが・・・

教員としてではなく治療家として生きる

2009年 岐阜保健短期大学専門学校に就職

なぜ岐阜?といわれるので説明しますと、鍼灸の教員の世界も年功序列です。関西圏ではとくにその傾向が強く人の足りていない地方に行けば自分が教えたい科目が持てる。という自分本位の考えで身重の妻を引き連れ引越しを決意しました。

やまと鍼灸院山本-鍼灸学校教員時代 おかげさまで、自分が教えたい科目を持つこともでき、東洋医学がおもしろいといってくれる学生も増え、おなじグループ校である短期大学の看護科で非常勤講師として東洋医学の講義をする経験など充実した日々を送ることができました。

その一方で、2年目が終わるころ少し考えることが多くなります。
それは、学校はあくまで国家試験を合格させるところである。ということです。自分は前述のとおり『治療家』であることが自分の中の思いとしてあります。その視点で講義をするため教科書をこえた実践の話もするべきだと考えていました。

しかし、一部の学生さんからは「そこまで求めていない。教科書以外の話はやめてほしい」ということを聞くことがありました。治療家をめざすものとしてどうかという思いと、確かに学校なのだから教科書だけというのもわかるという思いがぶつかり始めました。

そんな悩みの中、教員という生き方よりやはり『治療家』でありたいという思いもでてきました。
そして、人生を決断させる出来事が起ります。

2011年3月11日 東日本大震災です。学校の学生ホールで学生と談笑しているときに地震が起きました。震災は私の考えを決定的にさせる大きなきっかけになりました。

『明日、自分が死んでも後悔しない生き方をしているか』

ある被災された方の言葉と記憶しています。人を助けたいと鍼灸師を目指し、治療家となるため勉強、技術の研鑽をしてきたのに、『教員』という立場で悩んでいる。
はじめの志に従い『治療家』に戻り目の前の人の役に立つ。『治療家』として生きていくことを決意した大きな言葉となりました。

鍼灸院を開業、そして奈良へ

2012年 教員を退職し岐阜の地にて『やまと鍼灸院』を開業

やまと鍼灸院-岐阜時代 岐阜には娘が小学校に行くまでの4年間いるつもりでした。そしてありがたいことにのべ387人の方が治療を受けて下さいました。しかし、やはり地元奈良へという思いが募り奈良へ戻ることを決めます。

2013年 奈良県桜井市朝倉台で『やまと鍼灸院』を移転、開業

やまと鍼灸院-奈良開業当初 1年間は岐阜との隔週での営業。そして2014年からは奈良県に完全移転しました。この自己紹介文を書いている2015年現在、不定愁訴(頭痛、イライラ、眠れない、のぼせ、便秘、疲れが取れない)方や、自律神経疾患の方、自己免疫疾患の方、生理痛、生理不順、不妊などの女性特有の疾患の方など多くの方の不調や悩みにお応えしています。

施術の姿 また、『教員』という立場ではなく『治療家』という立場から勉強会やセミナーを主催し、鍼灸師をはじめセラピスト、そして医師の方に参加を頂き東洋医学、鍼灸のすばらしさを伝える活動をしています。
施術の姿

仕事への想い

私を突き動かす原動力は『人を手助けしたい』という想いです。
そして鍼灸の勉強を通して目覚めた『治療家』として、施術し東洋医学の考えを伝えることで、目の前のあなたはもちろん、あなたが元気になればきっと喜んで下さる、ご家族に貢献したいという想いがあります。そしてその繋がりはゆっくりで地道かもしれませんが、社会の貢献に繋がると考えています。


東洋医学は伝統医学であり、自然医学です。人もまた自然の一部。自然治癒力と呼ばれる本来備わった力に気づき引き出すことができれば、そして日々の生活でその方法がわかっていれば、穏やかで笑顔の毎日が送れると信じています。

『どこへ行けば治してくれるのだろう』という野球をしていた頃の自分のように困り、悩んでいる方の希望でありたいという強い志を持ち続け、この文章を読んでくださっているあなたの、

『どこへいけば?』という不安が『ここに来てよかった』という安心になるように志と信念を持って取り組んでまいります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

やまと鍼灸院 山本 達也